3月11日に思うこと

東日本大震災から10年たちました。10年前の地震発生時、私は当時勤めていた学校の職員室にいました。授業は空きコマでしたので自分の机で作業していました。古い鉄筋校舎の3階でかなり揺れましたが、幸い何かが倒れるようなことはありませんでした。揺れが収まってすぐに音楽科エリアに急ぎ、教室内に残っていた生徒たちを校庭に誘導して待機。その後はいろいろな対応に追われながら、職員室のテレビに映る津波の映像を、信じられない思いで見たことを覚えています。

 

3月後半、東京もまだ騒然と落ちつかない空気の中、ピアノ教室の合同発表会を行いました。

最後のあいさつで「このように集って、音楽をともにわかちあう時間をもてたことに、感謝していきたい」細かい表現は違ったかもしれませんが、そんな意味のことをお話しさせていただきました。

いつも通りにピアノに向かえることが決して当たり前ではない、そんな思いを強くするなかで出てきた言葉でした。その思いはいまもかわっていません。

 

その後2015年から、陸前高田での交流演奏会に毎年演奏者として参加する機会をいただきました。震災後4年たっていましたが、街であったところがぽっかりなくなってしまった空虚な景色は、映像で見るのとは受ける印象がまるで違いました。あの空気感はその場で目にしなければわからないことだと思います。かさ上げのための超巨大なベルトコンベアーが立ち並ぶ下を車で走り、震災遺構を訪ねました。まだ多くの方が仮設住宅で生活されていて、私たちの演奏会を楽しみにして下さっていました。会場は被災後に支援でつくられた交流施設で、仮設で暮らす方たちの文化活動の場となっていました。そこでのコーラスなどの音楽活動が心の支えとなっているのがとても伝わってきました。毎年訪ねていくたびに復興は進み景色は変わり、そこの仮設ではほとんどの方が家を建てるなどされて仮設を出られたそうです。生活のベースはそれぞれ別になったけれど、コーラスは交流の場として続けているとのこと。

交流演奏会の使命もそろそろ終わるのかなと思い始めた2020年、コロナ禍により思わぬ形で演奏会は中止となりました。集うというかたちで音楽をわかちあうのが難しくなってきた時代ですが、人に生きる活力をもたらす音楽の力を信じて、ひとの心に届けていきたいものです。